
連載エッセイ「ねえねえ聞いて」では、Voice Up Japan 明治支部のライティングメンバーたちが、日常の中で様々なことに揺れ動く自分の感情を、等身大の文章で綴ります。毎月、「ねえねえ聞いて~!」と、話しかけますのでぜひ楽しみながら読んでくださると嬉しいです!
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「やっと明け方にいる」
私がそう口にした時、同期のみんながかけてくれた言葉を絶対に忘れない。
幼い頃からアナウンサーになることを夢見ていた。小学校の担任に勧められ、地元のアナウンスコンテストに出場したことがきっかけだった。人前に立って話をし、そこにいる全員が耳を傾けてくれるあの空間が好きだった。「みなさん、こんにちは!」この挨拶1つにしても、語り掛け次第で相手の印象は全く異なる。言葉を声に出して発することには無限の可能性があることを感じた。
時は経ち、高校で転機が訪れた。入学した高校の放送部が、全国大会に毎年出場している強豪校だった。年に大会が2回あり、母校や地元の魅力を発表する。新聞やネットで話題を見つけ、自らアポを取って話を聞きに行った。それを原稿用紙1枚にまとめる作業は最長で7カ月かかったこともあった。
「ひとから話を聞く」という行動は、「目と耳と心で聴く」ことだと私は思う。
取材相手に体の全身を集中させることで見えてくる何かがあることを教わった3年間だった。
大学に入り、いよいよ今年で3年目。就活の時期を迎えた。
キー局のアナウンサー選考はとんでもなく早い。大学3年5月のインターンシップが、ほぼ第1次選考である。私はその全てに落ちた。面接どころかエントリーシートにすら、引っ掛かりもしなかった。
ならば、記者はどうか。ディレクターはどうか。マスコミに縛られている自分がいた。「アナウンサーになる」という志を抱いた小4の時から、10年間で出会った人皆にそのことを言ってきてしまった。もう後には戻れない。自ら自分の首を締めているようだった。
エントリーシートを出して、落ちて、時には進めて、また落ちてを繰り返すこと9カ月。年が明け、気が付くと1月になっていた。路頭に迷っていた時、アルバイト先の上司に言われた。
「テレビの顔じゃなくても、企業の顔になればいい」
スッと、肩の荷が下りた。
今までなぜ自分はマスコミだけをみていたんだろう。そこにこだわることに意味なんてないのに。どん底だった自分の気持ちが少しだけ上向いた瞬間だった。
ある日、アルバイト先の同期でオンライン新年会を開いた。
「最近就活どう?」
紆余曲折したこと、自分の憧れに縛られ過ぎて自分自身を苦しめたことを伝えた。
そして、「今はやっと明け方にいるかな」。強がりではなく、心から出た言葉だった。
すると、同期の3人がそれぞれ言った。
「明け方はね、一番美しい時間なんだよ」。
「人は年明けにわざわざ日の出を見に車を走らせるでしょ。それだけ尊いの」。
「あとはもう、ずっと日が昇ってるね」。
泣きそうになった。自分の明け方を喜んでくれる人はこんな近くにいた。
追い詰められていた心のガラスがみるみる融けていくようだった。
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