
「感動した」とか、「心を揺さぶられた」とか、あるいは、「つまらなかった」とか。世の中には、人それぞれの様々な評価がつけられた創作物が数えきれないほどあります。そんな中で、ライティングチームのメンバーがめぐり逢い、どうか一人でも多くの人に届けたいと思った「これは…!」というものを、思い思いのスタイルで紹介していきます。私たちが紹介する創作物との出会いが、多くの人の人生を豊かにすることを願って…
“自分の望む自分で生きる”ということが、どれほど難しいのか。
この映画を何回も観たが、劇中で感じることはいつも同じだった。
幼いころから大人になるまで、男性であることにずっと違和感を抱いていた主人公のヒカリ。
地元を出たあと、“コウキ”という自分ではない自分と決別し、ホルモン治療などを通じて、女性としての人生を歩み始めていた。
学生のころから魚が大好きだったヒカリは、上京して、魚に関係する仕事に就いた。
ヒカリを理解する職場の仲間との空間から一歩外にでると、そこでは、マジョリティ側から好奇の視線を向けられ、さまざまな言葉をかけられる。
トイレの場所を尋ねると
「…2階に『誰でもトイレ』がありますよ」と、体をじろっと見られてから言われる。
取引先との仕事の話では
「もしかして男性…?ほらやっぱりそう思ってたよ…」と他愛もないことかのように、性自認を話題に出される。
苦い笑みを顔に浮かべるヒカリは、口では聞かれたことに淡々と答えていくものの、心のなかは苦しさでいっぱいなのだと感じた。ぶくぶくと何かが水に沈んでいく効果音が、ヒカリの心のなかを物語っているように思えたのだ。
しんどい思いをするたびに、自分が、マジョリティだけが入れる“水槽”のなかから弾かれている気がして。
ヒカリは、自分でも自分について「私、まだ完璧じゃないから…」と自信を持てないでいた。
仕事の関係でたまたま地元に戻ることになるヒカリ。高校時代に片思いしていたタケルに連絡をとると、思いもかけず、そのときに会えることになった。
監督の方がおっしゃっていたが、トランスジェンダーにとって地元に帰ることは「鬼門」。
今の自分を受け入れてもらえるのか。不安はあったが、片思いだったタケルに会えることに淡い期待を抱いて向かった。
約束の居酒屋に入ると、スニーカーなどの靴が所狭しとひしめき合う玄関。
タケルは、高校時代のサッカー部の仲間を大勢呼んでいたのだ。
階段から降りてきたタケルは、ヒカリを見て一瞬固まる。自分の知っている“コウキ”ではなかったからだ。
なんとなく噂でヒカリのことを聞いていた仲間たちも、初めは少し戸惑っていたが、ヒカリを輪の中に迎え入れた。
コウキだった頃のことしか知らない彼らは、ヒカリを好奇の眼差しで見ながらさまざまな言葉をかける。
「なんとなくあのときからオネエっぽかったもんなぁ」
「…“そういうの”、いつから?」
「俺ら差別しねぇし…」
何気ない発言の数々に、ヒカリは苦笑いを浮かべることしかできなかった。ここでも、ぶくぶくと何かが水に沈んでいく効果音があり、ヒカリの気持ちがずんと沈んでいることを思わせた。
過去の自分を知る仲間たちとの時間は辛かった。極めつけは、タケルが父親になるのを知ったこと。ヒカリの想いは、彼に伝わることなく打ち砕かれてしまった。
最後まで自分を“コウキ”として扱ったタケル。
帰り際に手渡してきたサッカーボールを、彼に思いっきり投げつけるシーンがとても印象的だ。
まだ自分がコウキだった頃を思い出させるうえに、自分が捨て去ったその名前が記されている、チームみんなで寄せ書きしたボール。
ヒカリにとって彼の行為はまるで、過去の辛い思い出を抱えて持って帰れと言っているかのようだったのだろう。
屈託のない笑顔を見せていたタケルの、心底驚いた顔が忘れられない。
帰りの新幹線で、ヒカリの顔は何かが吹っ切れたように明るかった。
いつも、立たせるとすぐ倒れてしまうクマノミの置物も、窓際にしゃんと立っている。
ワンピースにパンプス、長い髪をなびかせるヒカリが、大都会新宿の夜空の下を颯爽と歩き抜けていくシーンで、映画は幕を閉じた。
この作品は、当事者主体のつくりになっているなど、様々な点で先進的だと思う。
まず主演を演じたのは、トランスジェンダーの当事者であり、モデルなどとして活躍されているイシヅカユウさんだ。
監督の東海林毅氏は当事者が演じることを重視し、オーディションにはトランス女性のみが参加。そのなかから、イシヅカさんが選ばれたという。
加えてこの作品では、マジョリティ側からの、マイノリティに対するさまざまな言葉が飛び出す。それらを言われた側がどのように感じ、どう悩み、葛藤しているのかが、効果音や他の登場人物との会話などから読み取ることができる。
この作品で飛び出す発言は、日常生活でも耳にすることがある。
作中で、ヒカリは言い返すことをしなかった。だが、「言い返さない」=「言ってもいい」では決してない。
マジョリティ側は、自分たちの特権性に意識を向けず、自分とは異なるマイノリティの人たちを理解しようとしないばかりか、好奇心をむき出しにして彼らを色眼鏡で見てはいないだろうか。
「自分が望む自分の姿で生きたい」と願う人が、奇異の目にさらされ、差別されて良い理由などない。
この映画でヒカリが踏み出した一歩が、生きづらい社会が少しずつ変わっていく一歩となることを強く願っている。
~「片袖の魚」の情報~
公式サイト➤ https://redfish.jp/
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★タイトルのフレーズは、公式サイトから引用させていただきました。
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