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  • 執筆者の写真Hina

あなた流のアクティビズムを


連載エッセイ「ねえねえ聞いて」では、Voice Up Japan 明治支部のライティングメンバーたちが、日常の中で様々なことに揺れ動く自分の感情を、等身大の文章で綴ります。毎月、「ねえねえ聞いて~!」と、話しかけますのでぜひ楽しみながら読んでくださると嬉しいです!


(今回は特別編として、2021年度の代表を務め、実はライティングチームでの発起人でもあるひなさんにエッセイを書いていただきました!)


 

 「アクティビスト」という言葉はずっと、どこか遠い存在のようだった。私よりも勇気がある人、知識がある人、弁の立つ人、そうした〈すごい人〉がなるものなのだと。当然、自分はアクティビストになんてなれるはずもなく、大学の友人と社会問題について話すだけでも少し緊張するのに、人の前に立って政治的な発言をするだなんて想像もできない、というような状態だった。


 そんな私は、しかし、知らぬ間にアクティビストになっていた。今月で、私は2021年度Voice Up Japan明治大学支部の代表という役目を終える。


 全ての始まりは、2020年6月だった。大学の先輩が「誰か一緒にやりませんか」と、Voice Up Japan明治大学支部の設立を手伝ってくれる人をSNSで募集していた。その呼びかけを見て、「先輩となら、大学で学んだ知識も生かしながら、やりがいのあることができそう」だと思った。知っている社会問題を知識だけにしておくことのもどかしさも、これでなくすことができるのではないかという期待もあった。そうして先輩に「やりたいです」とメッセージを送ったその瞬間、気付かぬうちに私はアクティビストへの第一歩を踏み出していた。一番段差が高かったのはその第一歩だったのだろうか。当時は何も考えていなかったし、終わりの見えないステイ・ホームに飽き飽きしていたのかもしれない。


 私はその後Voice Up Japan明治大学支部に入り、2021年度には代表を務めさせてもらったが、一度も〈登壇〉というものをしなかった。


 以前の私にとって、アクティビストといえば「登壇」。公の前に立ってマイクを持ち、大きな声で「私たちはこうしなければならない。今世界では、このようなことが起こっているのだ」と語りかけることが、私がイメージする、アクティビストが起こすアクションだった。しかし、私はそうしたアクションを一度も行なっていない。


 登壇しなかった理由は単純なことで、私にとって登壇は、最も効果を出せて心地よいアクションではなかったから。人前に立って話すことは嫌いではないが、自分が考えているこれからのキャリアや、その他の個人的な状況を考えると、公の場に立って政治的発言をすることのリスクを考えずに行動することはできなかった。そして何より、私には他に自信を持ってできるアクション方法があった。


 私が行なったアクション、それは「アクティビストの数を増やし、集まってできたコミュニティを輝かせ、自分達が起こすアクションにその意義を見出してもらうこと」。Voice Up Japan明治大学支部は、2022年3月時点で33名のメンバーがいるが、設立当時は6名。その後も卒業・入会を繰り返し、今の人数に至る。この33名は、全員が大学生を中心とする明治大学関係者で、アクティビストのニューフェイスばかりだ。私にとって、ここにいる人々と、これからここに集う人々がアクションを起こしていく場として、Voice Up Japan明治大学支部の環境を整え、コミュニティを輝かせることが、最も自信を持ってできるアクションの形だった。


 Voice Up Japanには29もの学生支部があり(2022年3月時点)、本部も含め、メンバーたちはそれぞれのスタイルでアクションを起こし、アクティビストとして活躍している。私がVoice Up Japanに入って驚いたことは、予想以上の数の人々が所属していたことだった。マイクを持って前に出るメンバーの他にも、文章を書く人、Voice Up Japanという組織を整えていく人、投稿のデザインをする人、イベントの統括をする人など、外からでは見えない役割を担う人がたくさんいた。私はそれを見て、アクションを起こすには、必ずしも顔を出し、名前を出すことが必要でないことや、公に自分の言葉を出すことが億劫に思われても、アクションは起こせるのだということを知った。つまり、私はそこで、自分が気付かぬうちにアクティビストになっていたのだと気づいた。私が考えていた「アクティビスト」は、そのごく一部でしかなかったのだ。


 社会に対して声を上げて効果を得るまでには、非常に長い時間と労力を要するだろう。しかし、そこに仲間があり、集う場所があり、社会問題について話せる環境があり、時に公に向けて問いかけることができるような団体としてのサポートがあると、その人の声が届く範囲は大きく広がる。そして、そうした環境を構築していく人も、十分にアクティビストなのだと思う。私のアクションは、直接的に不特定多数の人々に向けたものではなかったかもしれない。しかし、アクティビストに向けた私のアクションが、最終的には社会に向けたアクションへと繋がっているのだと信じている。


 「アクティビスト」という言葉は、日本では未だ馴染みがないような印象がある。しかし、この言葉は思っているよりも持つ意味の幅が広く、もはやこの言葉1つに人々をカテゴライズできなくなっているのかもしれないとさえ思う。私たちは何のためにアクションするのか。それぞれが持つ社会への期待が行動に表れた瞬間、それはアクションだ。私はVoice Up Japanを卒業しても、私なりの方法で、アクションを起こしていきたい。これを読んでくれているあなたにもぜひ、あなた流のアクティビズムを見つけてほしい。




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