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無意識のうちに苦しんだ会食恐怖症

執筆者の写真: 位晏 開沼位晏 開沼

更新日:2021年11月4日




連載エッセイ「ねえねえ聞いて」では、Voice Up Japan 明治支部のライティングメンバーたちが、日常の中で様々なことに揺れ動く自分の感情を、等身大の文章で綴ります。毎月、「ねえねえ聞いて~!」と、話しかけますのでぜひ楽しみながら読んでくださると嬉しいです!


 

唐突だが、日々の学校生活の中で一番楽しかった時間はどの時間だったのだろう。


時計の針を小中高時代に戻し、しばし考えてみる。振り返ってみると、頭の中には楽しかった時間が走馬灯のように蘇ってきた。

親友と他愛もない会話をしながら過ごした登下校時間。

読む気も、理解する気もない本との格闘を続けた朝読書の時間。

限られた時間の中で創意工夫に富んだ「遊び」を生み出し、夢中になった休み時間。


学校生活の中で楽しかった時間など、挙げ始めると枚挙にいとまがないことに今更ながら気がつく。とりわけ、個人的に忘れられないのが給食の時間だった。

学校生活において、小中学校時代の給食の時間ほどせわしない時間はなかった。

「いただきます」の号砲と共におかわり戦争が始まる。

食べ終えると、青年期の愚直な胃袋を満たそうとおかわりじゃんけんに繰り出した。

勝敗の余韻に浸る暇もなく、今度は牛乳を口いっぱいに含ませた友達を笑わせようと必死になった。

時には、友人との話が弾み、昼休みの時間まで給食をほおばり続けた。先生の迷惑そうな表情は今でも忘れられない。


そんな楽しい記憶に満ち溢れた給食の時間が「地獄の時間」に変わる日が来るとは想像もしていなかった。


 

小中学生時代から数年が経過した高校3年のある日。午前中の授業を終え、昼休みを迎えた。いつものように弁当の風呂敷を広げ、食べ始めようとした。

だが、異変が起きる。

箸がすすまない。空腹感はあるし、体調が優れないわけではない。授業後には部活があるし、お腹を満たさないとトレーニングに支障が出る。そうした不安に駆られながらも、食事を続けた。しかし、母の手作り弁当が喉を通らない。自分の身体に何が起きているのかさっぱり見当がつかなかった。今まで覚えたこともない身体の違和感に少し不安を覚えたが、「まあ、こんな日もあるだろう」と楽観的に考えた。


不幸にも、事態は想像していたよりも深刻だった。翌日も箸がすすまない。食べることが好きなはずなのに、食べ物が喉を通らない。「そんなはずはない」。自らの体が緊急事態にあることは気づいていたが、その現実から目をそらしたかった。そして、無理やりご飯を口に詰め込んだ。身体が発する危険信号を無視した結果、部活前にトイレでもどした。さすがに危機感を覚え、病院に駆け込んだ。


医者からは「会食恐怖症」と告げられた。頭の中にはクエスチョンマークが飛び交った。病名を全くもって理解できなかったからだ。



 

ところで、「会食恐怖症」という病気をご存知だろうか。初めて聞いた人が大多数だろう。人前での食事に不安を感じ、吐き気などの体調不良を引き起こす社交不安症の1つで、学校給食や部活動での「完食・過食指導」が原因となる事例が多いとされている。


自身もこのケースの当該者だった。つまり、部活動における「過食指導」が病の引き金となった。私は高校時代、1年次からサッカー部に属していた。サッカー部は学校側から強化指定の対象となっていた為、少しでも連休があると合宿が行われた。そこで経験したのが、指導者による極端な食事指導だった。科学的根拠に基づくこともなく、食事をトレーニングの一環と捉えていた監督が、過度な食事を選手たちに課した。


「お前、もっと食えるやろ!!」

「全然食わへんから線が細いねん!!(相手に当たり負けをする意)」


と説教がましいことを言われた。

さらには、「食わんと試合で使わんで」と脅しまがいの言葉も浴びせられた。


その薄っぺらい言葉を鵜呑みにし、コーチや監督に少しでも気に入られようと過食を続けた。結局、パフォーマンスが向上することも無く、試合に出場する機会も与えられなかった。ただただ苦しい時間を過ごしただけだった。この地獄のような食事指導は合宿が開催されるたびに行われた。

幸い、治療が功を奏し、2ヶ月ほどで症状は和らいだ。だが、この2ヶ月は絶望の時間であったので、思い返すと今でも胸が苦しくなる。


 

近年、指導者による極端な食事制限・指導が問題視され始めた。


発端となったのは、ある陸上の長距離女性選手による勇気ある告白だった。

彼女は所属する部の監督の厳格な体重管理により、過食・嘔吐を繰り返して摂食障害に悩まされた。こうした、指導者による度を越した食事管理が招く健康被害の事例は氷山の一角だ。読者の一部の方も経験、もしくは耳にしたことがあるのではないだろうか。先述した前時代的な「食トレ」や「完食・過食指導」がスポーツ界、教育の現場で今もなお平然と行われていることを想像すると恐ろしくなる。同時に、憤りさえ覚える。

この場を借りて伝えたいことが2つある。


1つは、個人の尊重である。食べられる量や食事のペースは人によって千差万別だ。

「食べ残しは許されない」という美徳一辺倒な価値観を押し付けるのでは無く、各人が持つ身体的特徴を尊重して欲しい


もう1つは、「会食恐怖症を知ってもらいたい」ということだ。

前半部分でも言及したが、この病気は決して認知度が高いとは言えない。だからこそ、まず同病への認識を少しでも深めてもらえたら幸いだ。


その上で、もし仮に同病を抱えていた、もしくは悩まされていた人に出会った際には「想像力」を働かせて欲しい。当事者でなくとも、その苦しみや痛みを想像し、寄り添うことはできるはずだ。

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